3歳までにやっておくこと《3》 やっていいこと・わるいこと その3

今回は、「やっていいことと悪いことはどうして見分ける?」
―子どもの行動を制止する基準の3番目「自分、他の人、物、の尊厳を傷つける行為をしたとき」です。
これは「人はいかなるときにもどのような状態であってもその尊厳を傷つけられてはならない」という普遍的な真理に基づくもので、
人だけではなく、自然も物質も存在する意義があるわけで、本来丁寧に感謝をもって対しなければならないと考えるものです。
“自分の尊厳を傷つける”とは、たとえば自己否定感が強くなった場合など陥りがちではないでしょうか。
次に、“人の尊厳を傷つける”――これは分かりやすいですね。
たとえ危険な行為でなくとも、たとえばお友だちの嫌がることをしたり、
暴力(言葉の暴力を含め)や人を不安にさせたり、
思いやりのない言動をしたりした時などこの行為に当たります。
それから派生して“物の尊厳を傷つけた時”。
これは私自身が考えた表現です。
たとえば子どもがミニカーなどのおもちゃを投げたり、それでお友だちを叩いたり、
そのもの本来の使用目的と意に反した使い方をした時は、そのもの対して失礼なことだと思うのですね。
それが形になるまでの多くの人々の「子どもを楽しませたい」「役に立ちたい」と言う思いがあったはずですから。
尊厳を傷つける行為だと判断した時は、「~してはいけません」などと上から目線で叱るのではなく、
「お友だちにそんなことを言うものではないよ」、
「おもちゃはそうやって使うのではなく、このように使うためにあるのだよ」、などと
そのもの本来の接し方、扱われ方を示すという視点で、端的にしっかり、心をこめて伝えます。
その後、そのような行為に走った子どもの心に添うように
「でもこんなことするなんてどうしたの?」と抱きかかえたりしながら、話をじっくり聞くようにします。
自分の気持ちを大切にされることで、子ども自らが周りのものすべてを大切にすることが自然にできるようになるのではないかと考えています。
私も育児中はわが子に対して、「何とか子どもをまっとうな人間に育て上げないと、」などと
将来に対する不安な思いから「とにかくここでは叱っとかなきゃ、」と小言を言ったり、
感情的に怒ったりして好ましくない行為を正そうとすることがありました。
しかし子どもにとって何が悪いのか、明確な普遍的基準が示されていなければ、その場その場で行為を制止されるだけで、
これでは子どもが自律的に良いこと悪いことを判断できる力は育ちにくいものです。
逆に“叱られるからやらない、”など他律的になったり、
さらに“大人にばれなければやっても大丈夫、”などという価値観を身につけかねません。
わが園が「叱らない保育」をしているのは、叱るという行為が結果的に心の成長に結びつかないと意味がないと考えるからです。
というわけで“叱る”よりむしろ“やさしく諭す”という方法で
「すべてのものはその尊厳を大切にされなければならない、」と言う普遍的な価値基準で判断することを
子どもに分かる言葉で真剣に伝えています。
そのうえで自ら取るべき行動を自分で考えられる人に育っていくアプローチをすることの方が大切だと考えています。
この世に生を受けた命は、その瞬間からご両親のみならず、
社会の宝物としてひとりひとりが大切にされ、慈しみ育まれる必要があります。
そのような社会の流れが、ひいては私たちの目指す、暴力、虐待、いじめとは無縁の社会の構築につながると信じています。 

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