『ナマケモノのいる森で』


アヌック・ボワロベール、ルイ・リゴー(しかけ) ソフィー・ストラディ(ぶん) 松田まつだ素子もとこ(やく) アノニマ・スタジオ 2012年

ゆたかなもり動物どうぶつたちが、あるつめたく(するど)おと(とも)うしなわれていってしまう……」という現実げんじつが、素晴(すば)らしい仕掛(しか)けによって表現ひょうげんされた絵本えほんです。

どうもわたしはひねくれているので、ぶんや表現にたいして「ずいぶん啓蒙けいもうてき1感傷(かんしょう)的だなあ」とおもってしまいます。それでもタブをくと一斉(いっせい)芽吹(めぶ)くページには感動かんどうしました。なぜなら、わたしも森に対する傍観(ぼうかん)加害者かがいしゃでありながら、タブを引くことで補償者ほしょうしゃでありかつ守護者しゅごしゃとなる聖痕(スティグマ)2(あた)えられたからです。ひとこころ(とげ)となる、すべての年代ねんだいにお(すす)めの一冊(いっさつ)です。

(2023年5月 再掲さいけいにあたり加筆修正かひつしゅうせいしました)

  1. 啓蒙とは、きりがかったような価値観かちかん世界観せかいかん(うならば迷信めいしん)をつ人に知性ちせいあたえてはっきりとえるようにする(理性りせい的に判断はんだんできるようにする)こと。「もうひらく(薄暗うすぐらくよく見えないところにひかりむ)」とも言います。本来ほんらい能動的のうどうてきにも受動的じゅどうてきにも使つかいますが、いまでは「“おしえてやっている”といった高圧こうあつ的な態度たいど」といったニュアンスにめられることもあります(実際じっさいにそういう高圧的な人もいます……) ↩︎
  2. イエス・キリストが十字架じゅうじかはりつけにされて処刑しょけいされたときくぎで十字架に両手りょうてけられたと言われています。そのことをった人のなかにイエスが宿やどる(憑依ひょういする・りつかれる)と、イエスのように釘を打ち付けられたような出血しゅっけつ傷跡きずあとが両手にあらわれることがあるそうです。このことから、超越ちょうえつ的なものによって自分じぶんかた価値観かちかんおおきくえられたあかし(こころきずとげ)を聖痕せいこん(スティグマ)とびます。
    一方いっぽうで現在では心理学しんりがく分野ぶんやで、差別さべつ迫害はくがいによってきずつけられること、傷つけられている状態じょうたいをスティグマとぶことがあります。 ↩︎